2019年7月19日

誤った信念がデータの誤用につながるとき

ポーカーで勝利を収めるには、たとえ限りがあったとしても、あらゆるデータを駆使してできる限り最善の選択をしなければなりません。意思決定戦略家であり、ポーカーの元チャンピオンでもあるAnnie Duke氏が、IT意思決定者にポーカーがどのように役立つのかを説明します。

Annie Duke氏は、つい最近まで世界最高のポーカープレーヤーの1人とみなされていました。2004年に234人のプレーヤーが参加する大会を制して自身初のWorld Series of Poker (WSOP)のブレスレットを獲得した同氏は、すでに現役を引退していますが、その数か月後に勝者総取りのWSOP Tournament of Championsで200万ドルを手にしました。そしてその強力な戦略と同様に優れた知性とスタイルで知られる同氏は、ポーカーの世界ですぐに最も有名なプレーヤーの1人となりました。
しかし多くのファンは、同氏がペンシルバニア大学で認知心理学を学んだという並外れた競争上の強みを武器にポーカーの世界に入ってきたことを知りませんでした。
同氏は、人間の行動と意思決定の謎を研究する教授になるつもりにしていましたが、入院によってその計画に狂いが生じ、仕事を探し求める中でポーカープレーヤーになりました。同氏は、主に相手をすぐに評価し、その行動パターンを観察して素早くベット、ブラフ、フォールドできる能力で勝利を収めるようになりましたが、今では判断の適切性、感情制御、生産的判断グループ、不確実性への対応といった幅広いトピックに関する執筆、指導、および講演活動に時間を費やしています。常に引く手あまたの講演者である同氏は、最近ではフロリダ州オーランドで開催されたGartner Data and Analytics Summitや数多くの企業、大学、公開イベントなどで基調講演を行いました。
私たちは今回、事業部門やIT部門のリーダーが意思決定においてどのようにデータを活用(誤用)しており、また繰り返しどのようなミスを犯しているのかについて同氏に尋ねました。なおこれについては、同氏の最新の著書である『Thinking in Bets: Making Smarter Decisions When You Don't Have All the Facts』のテーマとなっています。

 

大会を通じて世界有数のポーカープレーヤーのあらゆる行動を観察してこられたかと思いますが、現在の判断の適切性の基準に関連して、何が最も目につきましたか。

心理学概論のクラスを受講している大学の新入生なら誰でも、判断と行動に密接に関係する数多くのフィードバックが返ってきたときに知識が得られると言うと思いますが、ポーカーはまさにそのようなものです。
人間の行動でポーカーより早くフィードバックが返ってくるものはほとんどなく、ポーカーは多くの場合、ベットとそれに続くプレーが30秒以内に行われて2分以内に勝敗がわかるという、タイトな閉じたフィードバックループになっています。
それにもかかわらず、私は実際に多くのプレーヤーがあまり学んでいないのを目の当たりにしました。プレーヤーとして豊富な経験があるうえに、誰もが思いつく最もデータが豊富な環境の1つで有効活用できるデータが数多くあるにもかかわらず、彼らは同じミスを何度も繰り返していたのです。これは私にとって非常に大きな謎であり、2002年に初めて意思決定に関するコンサルティングを開始したときに深く掘り下げ始めたトピックでもあります。

 

事業部門やIT部門のリーダーが意思決定においてどのようにデータを活用、または無視しているのかについて、これまでに何がわかりましたか。

私は、人が極端に考える傾向があるということに気づきました。
「自分にはこの分野でこれだけの経験があり、他の人にはわからないことがわかるのだから、このような判断を下している」と自分自身に言い聞かせている人もいますが、そこにはデータをまったく受け入れず、信用もしない方向へと進む可能性がある独自のリーダーシップのスタイルがあるのではないかと思います。
そしてそれは実際のところ、事業部門やIT部門のリーダーがデータを確実な証拠であると考える別の方向へと進む可能性もあり、そうなった場合は、意思決定のプロセスから人間を排除し、データから真実を導き出すことが目標となります。
実際のところ、このようなアプローチはどちらも間違ったものですが、こうした極端な考え方は企業の目標や取り組みのようなものになりがちです。しかし実際には、これら2つのアプローチを融合し、人間とデータやテクノロジーをうまく連携させる必要があります。

 

そのように言われるのはなぜですか。

まず、データが真実であると考えることの問題は、人間がデータを収集しており、どのデータセットから適切な情報を引き出すのか、どのような質問をするのか、それらの質問をどのように行うのか、そしてそれを進めるにはどのような分析が必要なのか、ということを考えなければならない点にあります。
その次に、人はマシンが特に得意としているわけではない常識などの特定の部分で能力を発揮します。また私たちは、曖昧さを解消することにも長けており、たとえば「犬の上に象が乗っている」と言った場合、人間は誰もが同じように、犬の何かが変(たとえば踏み潰されている)と考えるか、象の何かが変(たとえばおもちゃである)と考えます。このように、人間は情報の意味を正しく理解できますが、アルゴリズムはそれをあまり得意とはしていません。
人間とデータの関係で3番目に考えるべきことは、データが本質的にキャリアリスクに対処するための手段になり得るということです。私たちは、「データが真実であると確信したら、そのデータに基づいて判断を下す」と自分自身に言い聞かせており、その判断がいい結果に結びつかなければ諦めて、「データにあったのだから、これは自分のせいではない」と言うかもしれません。
私たちは、こうした落とし穴に注意するとともに、どのようにすれば人間とデータやテクノロジーの本当に良好な関係を築けるのかを考えなければなりません。そしてそのような関係を築けば、私たちは真実をねじ曲げてしまうような方法ではなく、真実と正確な情報を引き出す方法でそれらを用いるようになります。

 

認知科学を研究する中で、ときに信念体系がデータの解釈を誤らせる仕組みについて考えてこられたかと思いますが、どのようにして誤った信念が判断ミスにつながるのですか。

問題は、私たちが客観的な方法でデータを利用しており、そこから得られるどのような情報にもまったく偏見を持っていないと思っている点にあります。私たちは、データを利用して新たな信念を形成したり、すでに持っている信念を調整したりしていると思い込み、新しい情報が入ってくると、「とても面白いので解析してみよう」と言うのです。
しかし実際のところ、私たちはそのようにデータを扱っておらず、どちらかといえば、すでに世界について確固たる信念を持っています。このような信念はアイデンティティの一部となっており、私たちの認知はまさに、自らのアイデンティティ、ひいては信念を守る働きをしています。そして私たちは、他のすべてのものが個人、またはそれぞれの分野でのリーダーとしてのアイデンティティを傷つける存在であるかのように自分の信念にしがみつき、たとえ客観的な真実を示されても、信念を変えるのが難しいのです。私たちの多くは、人間の1年が犬にとっては7年に相当すると考えていますが、それは間違いです。私たちは誰もがエリス島で移民の名前が変えられていたという話を聞き、ほとんどの人がそれを信じていますが、それも間違いです。人は、禿げるかどうかを知りたければ、母方の祖父の頭を見ればいいと考えていますが、それも間違いです。
私たちはこのような信念を持つと、それを確固たるものにするための根拠を見つけようとしがちですが、これは確証バイアスとして知られています。この私たちの信念と同じように不確かな確証バイアスは、私たちが情報を処理する過程で主導権を握り、多くの判断を導いています。

 

データに基づく判断は、いい結果につながらなくてもそれを下した理由を明確にしていれば批判を受けない可能性があり、他と関わりを持たずに下した不透明な判断は逆の結果に終わる、とおっしゃっているのを聞いたのですが、それについて詳しく説明していただけますか。

わかりました。私たちは判断の質と結果の質を同一視することがありますが、それは結果重視と呼ばれる誤った考え方です。私たちは、結果が良かったのか悪かったのか、勝ったのか負けたのか、といった情報を判断の質を示す完璧な信号であるかのように用いており、結果が悪ければ判断に誤りがあったはずであると考え、結果が良ければ判断が正しかったに違いないと考えます。
私たちがこのように考える理由は、それが物事を単純化し、認知の複雑性を低減してくれるからです。過去を振り返って成功や失敗につながった判断を分析するのは難しいかもしれませんが、結果を重視するのはそれより簡単で、それによって認知の負荷が軽減されます。
ただし、私たちは結果の質に基づいて判断の質を明確にせず、それが不運だったかもしれないと認めることがあります。このような行動は、判断について多くの合意が得られており、それが明らかに正しいと思われている場合に取られます。
判断に関して合意が得られていると思われる場合とそうでない場合では、結果の受け止め方が大きく異なります。合意による判断を経ていい結果が得られると、人は「よくやった」と言い、結果が良くなかった場合は「不運だった」と言うでしょう。これは、青信号を進んで事故に遭った場合に誰からも責められることがないのと同じようなもので、このようなケースでは損失額が算出されて費用が補われるため、そのときの判断は明らかに正しいと言えます。
一方、合意を得ていない不透明な分野でデータに基づいてイノベーションを推進し、いい結果が得られたら天才と呼ばれ、誰からも称賛されますが、結果が悪ければ「ばか」と言われます。このように、誰もがしたことのある最悪の判断を下した場合、たとえそれを裏づける合理的なデータがあったとしても、人はその判断が正しかったとは思えないのです。
これらの問題は、「ばか」と呼ばれたくないという理由から、人が不透明な悪い結果を避けたいと考えている点にあります。そのため人は、偽りの合意を求め、真実を見出すためではなく防御手段としてデータを使用します。
素晴らしい判断が必ずしも最高の結果につながるわけではないということはおわかりかと思います。制御できない運や不確実性の要素は必ずあり、私も実際にポーカーでそれを経験したり目の当たりにしたりしました。このような要素は、ビジネスやITの世界にも常に存在しますが、そのことをわかっているのであれば問題はありません。

 

データに基づく判断が思わぬ結果をもたらす可能性があることを踏まえ、それを軌道に乗せる方法にいてアドバイスをいただけますか。

まずは、チームのメンバーが個別にストーリーを描いたり考えをまとめたりできるようにし、メンバーが意見をまとめて一息ついたら全員を集めます。データからどのような真実が得られるのかを知るには、さまざまな意見が必要です。5人の同僚がデータを調べて全員がそのデータの内容を同じであると思った場合、それぞれが違う結論に達した場合と比較して解釈の信頼度は高くなります。
また不一致が見られたときは、それぞれに各自の信念から離れて考えさせることもできます。その場合はテーマを切り替え、別の見方について考えてもらうようにします。
さらに、予備的結論が間違っている可能性がある理由について議論するために、レッドチーム(敵対する役割を担ったり敵対的な考え方を持ったりすることにより、組織に効率を向上させるよう求めるグループ)を作ることもできます。チームにこのようなプロセスを組み込めば、間違いを見つけ出して意見のどの部分を調整する必要があるのかを明らかにできる可能性が高くなります。信念は私たちの判断の元となる唯一の要素であるため、ここでもそれにとらわれないようにすることが重要です。

 

著書のタイトルが「Thinking in Bets (ベットで考える)」から始まっていますが、なぜこのようなタイトルにされたのですか。

判断というのは未来に対する賭けであり、判断を賭けと考えると、「自分の信念に賭けたいかどうか」という疑問が湧いてきます。そしてそうなると、自然に「いつどこで信念が形成されたのか」、「その信念にはどのような根拠があるのか」、「その根拠の元はどれだけ信頼できるものなのか」、「私に賭けを要求してきた人物(もしかすると競争相手)は、私が知らない何を知っているのか」といった別の疑問が次々と出てきます。
このようなプロセスでは基本的に、自分自身の信念体系を理解するともに、外側から物事を見つめ(自分自身の信念体系から離れ)、「他の人がこの判断をどのように見ているのか」を問う必要があります。
スコットランドの物理学者であるJames Clerk Maxwell氏がかつて言ったように、「無知が十分に認識されることは、あらゆる科学的な進歩の前奏曲であり」、ときに結果より疑問の方が重要となることを意味します。そして証拠はそれが真実であることを示すものなのです。

この記事/コンテンツは、記載されている個人の著者が執筆したものであり、必ずしもヒューレット・パッカード エンタープライズの見解を反映しているわけではありません。

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